【天声人語】
1991年(平成3年)7月21日 朝日新聞より
友人の家で家族に面倒な問題が起きた。友人は苦しんだ。解決できぬ自分自身にも悩んだ。中年の彼は、意を決して、ある療法を家族に受けさせた。そして、全く同じ療法を別個に自分も受けた▼療法といっても、実は修養法だ。周囲をついたてで囲んだ、半畳の空間。そこに座り、三つの命題について考える。これまでに母親から何をしてもらったか、母親にどんな迷惑をかけたか、母親にどんなお返しをしたか。幼児のころからの出来事を事細かに思い出す▼差し入れの食事。朝六時から夜九時まで、一週間を、ひたすら思い出す作業に過ごす。小学一年生の時、二年生の時と、必死で考える。忘れていたさまざまなことがいもづる式に思い出され、驚いたという。二時間ごとに指導者が来て「お調べになったことは」と内容をたずねる▼ひと通り母親との記憶をたどった後は、父親について同じことをする。実は彼は精神科医である。一週間、寝かせたままにして心の中の不安と対決させる、という療法の指導をしたこともある。自分が修行を試みるのは初めてのことだった▼集中的に回顧するうちに「自分がいろいろな人に支えられて生きていることが実感されてくる」。たいしたことはない男、と考えていた父親が、いかに多くの配慮をしてくれて、それで今日の自分が存在しているのかも見えてきた、という▼他人のことも思い出した。あの人にお礼の、あるいはおわびのあいさつに行かなければ、といった心境になった。静かな一週間の後、友人は心の平静さをとりもどし「感謝と積極的な気持ちを味わった」。この方法は「内観」と呼ばれるそうだ▼個人ではなく、国や民族にも「内観」が必要なときがある。だれに世話になったか、だれに迷惑をかけたか…。古い枠組みが壊れた現在、未来に備えて、世界中が「内観」の季節を迎えている。
1991年(平成3年)8月15日 朝日新聞より
どのように生きていったらよいだろう。考えあぐねたら、自分が生まれてからこの方の人生のひとこまひとこまを、できる限り細かく思い出してみるのがいい。そういう療法があることを、前に小欄で書いた▼だれに、どのように世話になったか。だれに、どのような迷惑をかけたか。だれに、どのようにむくいてきたか…。かわした会話や、しぐさ、行動などを具体的に思い出す。意識の底に埋もれていた自分の人生をあらためて発見し、経験し直し、新しい心組みで未来に立ち向かうことができる▼個人の場合と同じように、集団の場合も問題に行き当たったら歩いてきた道を振り返ることが必要だ。金にまみれた事件や犯罪が、吹き出物のように次々に出てくる昨今の様子は、私たちの社会が、全体的にか部分的にか、深いところで病んでいることを示している▼あの八月十五日以来、私たちはどう生きてきたのだろう。敗戦からの四十六年の歳月は、どういう日々だったか。今年は日米の開戦から半世紀という年でもある。いや、どうせならもっと前から回顧しなければなるまい。おりしも国際政治・経済の分野では、戦後の枠組みが壊れたところだ▼いろいろな国が過去の行動について関係国に謝罪する。そういうことが相次ぐのも、新しい秩序の模索と、新規まき直しに備えて、世界中がそれぞれに過去の回顧と整理とを進める時期に来ているからである。日本も、徹底的な回顧が必要なときだ▼敗戦の時の、平和希求、侵略反省の原点はもちろんである。海外への移民、出稼ぎの歴史と、いまの日本への外国人労働者の流入。日本の近代化と、いまの日本の発展途上国への援助…。過去の体験は未来に結びつくはずだ▼近現代史の学習はまさに回顧そのものだが、それは、隣国の手前ではなく、日本人が将来を考えるためにこそ、緊要なのだ。
1993年(平成5年)8月15日 朝日新聞より
敗戦の日から今日で四十八年である。半世紀になんなんとする過去だが、なかなか過去にならない過去である。現在もなお、戦争の記憶と、戦争が残したものは、私たちや隣人達の生活に生き続けている▼ことし、過去を顧みることには、格別の意味がある。世界の激動を受けて日本の政治にも大きな変化が起きた。どこの国でも同様だが、現在の混乱の中で、いまだに新しい時代、未来の形がよく見えない。未来を考えるには、そういう時、過去を知ることが必要なのだ▼過去と未来に関連して、前に小欄で一つの療法に触れたことがある。様々な問題を抱え、どう生きたらよいかに迷う人に、まず徹底的に過去を回顧させるという方法だ▼幼い時からの出来事を具体的に一つ一つ思い出す。部屋にこもって、専心、思い出す作業を続ける。例えば、母親に何をしてもらったか、どんな迷惑をかけたか、何をお返ししたか…。人生の回顧を通して、感謝や反省や自信その他の実感が深まり、積極的な気持ちをとり戻す▼興味深いことだが、この二、三年、個人の場合と同様、様々な国、民族、社会が回顧の作業を続けている。現実に不確かさを感じ、未来を見据えようとすればこそだろう。旧ソ連や欧州諸国、イスラエルなどの間での謝罪、米国やカナダの政府の日系市民に対する謝罪や補償…▼加藤周一著『ブックレット生きるD戦争責任の受けとめかた−ドイツと日本−』には、戦前・戦時と戦後の社会の変化、責任のとり方などについての日独両社会の対照的なあり方が、具体的に明快に描かれている。ドイツの人々の過去を直視する厳しい姿勢が印象的だ▼しっかりした過去の認識を、私たちも欠かすことができない。それは、補償を要求する人の有無などという問題以前に、療法になぞらえるわけではないが、私たち自身の未来のためなのだ。